「主は近いのです」ピリピ人への手紙4章5節

更新日:1月15日

 2022年1月1日 元旦礼拝聖書メッセージ 「主は近いのです」 Soh Ito


 「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。」ピリピ人への手紙4章5節


 序.(パウロ書簡の意図-「教会建て上げ」)

 

 「最後には、我々は敵の言葉など思い出すことはない。思い出すのは友人の沈黙である。」-キング牧師

 私はこのキング牧師の言葉に感銘を受け、家族での朝食の時間に「キング牧師のこの言葉良いよね~」と話題に出しました。ところが、この言葉について、私と私の母とで解釈が違うことに気がつきました。私は、人間というのは、死に際に自分の敵を思い出すのではなく、辛い時に一緒にいてくれて、自分の痛みに共感してくれたことを思い出す、という風に捉えました。一方で母は「友人の沈黙」とは、辛い時に何も言ってくれなかった人のことで、沈黙は非難の言葉よりも悪いと捉えました。友人の沈黙という言葉を私は良いもに母は悪いものと考えました。

 皆さんはどう思いますか?真実はキング牧師の意図を知らなくては、分かりません。キング牧師の意図を知るためには、この言葉がどのような文脈で、どのような状況で言われたのか、その背景を調査することが必要です。そのようにしてはじめてキング牧師が本当に言いたかったことがわかります。

 聖書も同じです。聖書にあるそれぞれの書物の著者の意図を掴むことで、聖書著者が本当に言いたかったことがわかります。

 新約聖書の大部分を占めるパウロの手紙にはパウロの意図があります。新約聖書にある手紙ではっきりとパウロの手紙とわかるものは次の手紙です。ガラテヤ、テサロニケⅠとⅡ、コリントⅠとⅡ、ローマ、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン、テモテⅠとⅡ、テトスです。これらのパウロの意図はなんでしょうか?なぜパウロはこれらの手紙を書いたのでしょうか?

 私は、パウロはこれらすべての手紙を共通の目的を持って書いたと考えています。「教会を建て上げるため」です。パウロが紀元49年~56年ごろに書いたと言われる「初期の手紙」は新しい教会が福音をしっかりと理解しするように。教会が福音に根ざして動かされることのないように、との思いから書かれたと思われます。紀元60年~62年の間に書かれた「中期の手紙」は教会が神の計画を理解し、一つ思いとなって強固に建てあげられて行くこと期待して書かれたように思います。紀元62年~67年に書かれた「後期の手紙」は教会が神の秩序に則った共同体として世代を超えて建てあげられることを期待して書かれたように思います。

 パウロは大抵、教会に起こっている問題や事件を正す必要があったり、教会に間違った教えが混じっていてそれを正す必要があったりした場合に手紙を書いています。パウロの手紙は教会の罪を指摘し、教会の生き方を変革し、教会共同体がしっかりと建て上げられるように導きます。そのように、パウロのすべての手紙の意図は「教会を建て上げること」です。

 さて、今日はそんなパウロの手紙の一つであるピリピ人への手紙から神様のメッセージを受け取ります。これから3つのポイントでみことばをみていきたいと思います。まず第一にパウロがなぜピリピ人への手紙を書いたのか?ピリピ人への手紙全体の意図をみます。第二に、そんなピリピ人への手紙全体の流れの中で果たして4章5節でパウロは何を言っているのか?をみます。最後に、第三のこととして、私たちがどうあるべきなのか?神様がこのみことばを通して、私たちにどうあるべきだと言っているのかをみていきたいと思います。


 本論.

 1.ピリピ人への手紙の意図

 第一に、なぜピリピ人への手紙が書かれたかについてです。パウロは手紙のすべてを教会がしっかりと建て上げられるようにするために書いたわけですが、ピリピ教会のどこをみてこの手紙を書こうと思ったのでしょうか。ピリピ教会に問題点はあったのでしょうか。

 手紙の冒頭でパウロは、ピリピ教会が福音の進展にあずかって