「主は近いのです」ピリピ人への手紙4章5節
更新日:2022年2月1日
※こちらの記事は惣菜丸走代表が元旦礼拝で語った聖書メッセージの原稿となります。ブログ用に書かれた文章ではないことを予めご了承ください。
2022年1月1日 元旦礼拝聖書メッセージ 「主は近いのです」 Soh Ito
「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。」ピリピ人への手紙4章5節
序.(パウロ書簡の意図-「教会建て上げ」)
「最後には、我々は敵の言葉など思い出すことはない。思い出すのは友人の沈黙である。」-キング牧師
私はこのキング牧師の言葉に感銘を受け、家族での朝食の時間に「キング牧師のこの言葉良いよね~」と話題に出しました。ところが、この言葉について、私と私の母とで解釈が違うことに気がつきました。私は、人間というのは、死に際に自分の敵を思い出すのではなく、辛い時に一緒にいてくれて、自分の痛みに共感してくれたことを思い出す、という風に捉えました。一方で母は「友人の沈黙」とは、辛い時に何も言ってくれなかった人のことで、沈黙は非難の言葉よりも悪いと捉えました。友人の沈黙という言葉を私は良いもに母は悪いものと考えました。
皆さんはどう思いますか?真実はキング牧師の意図を知らなくては、分かりません。キング牧師の意図を知るためには、この言葉がどのような文脈で、どのような状況で言われたのか、その背景を調査することが必要です。そのようにしてはじめてキング牧師が本当に言いたかったことがわかります。
聖書も同じです。聖書にあるそれぞれの書物の著者の意図を掴むことで、聖書著者が本当に言いたかったことがわかります。
新約聖書の大部分を占めるパウロの手紙にはパウロの意図があります。新約聖書にある手紙ではっきりとパウロの手紙とわかるものは次の手紙です。ガラテヤ、テサロニケⅠとⅡ、コリントⅠとⅡ、ローマ、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン、テモテⅠとⅡ、テトスです。これらのパウロの意図はなんでしょうか?なぜパウロはこれらの手紙を書いたのでしょうか?
私は、パウロはこれらすべての手紙を共通の目的を持って書いたと考えています。「教会を建て上げるため」です。パウロが紀元49年~56年ごろに書いたと言われる「初期の手紙」は新しい教会が福音をしっかりと理解しするように。教会が福音に根ざして動かされることのないように、との思いから書かれたと思われます。紀元60年~62年の間に書かれた「中期の手紙」は教会が神の計画を理解し、一つ思いとなって強固に建てあげられて行くこと期待して書かれたように思います。紀元62年~67年に書かれた「後期の手紙」は教会が神の秩序に則った共同体として世代を超えて建てあげられることを期待して書かれたように思います。
パウロは大抵、教会に起こっている問題や事件を正す必要があったり、教会に間違った教えが混じっていてそれを正す必要があったりした場合に手紙を書いています。パウロの手紙は教会の罪を指摘し、教会の生き方を変革し、教会共同体がしっかりと建て上げられるように導きます。そのように、パウロのすべての手紙の意図は「教会を建て上げること」です。
さて、今日はそんなパウロの手紙の一つであるピリピ人への手紙から神様のメッセージを受け取ります。これから3つのポイントでみことばをみていきたいと思います。まず第一にパウロがなぜピリピ人への手紙を書いたのか?ピリピ人への手紙全体の意図をみます。第二に、そんなピリピ人への手紙全体の流れの中で果たして4章5節でパウロは何を言っているのか?をみます。最後に、第三のこととして、私たちがどうあるべきなのか?神様がこのみことばを通して、私たちにどうあるべきだと言っているのかをみていきたいと思います。
本論.
1.ピリピ人への手紙の意図
第一に、なぜピリピ人への手紙が書かれたかについてです。パウロは手紙のすべてを教会がしっかりと建て上げられるようにするために書いたわけですが、ピリピ教会のどこをみてこの手紙を書こうと思ったのでしょうか。ピリピ教会に問題点はあったのでしょうか。
手紙の冒頭でパウロは、ピリピ教会が福音の進展にあずかってきてくれたことに感謝しています(1:1~11)。手紙の前半と後半でも、ピリピ教会が獄中にいるパウロのところにエパフロディトを遣わしてくれて、経済的な贈り物をしてくれたこと(2:25、4:18)を神に感謝しています。パウロがこの手紙を書いたのは、この贈り物に対する感謝を述べるためだったと分析することもできるかもしれません。
しかし、私はこの手紙が書かれた一番の原因というのは、4章2節にあると思います。
「ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは主にあって同じ思いになってください」
教会の中に同じ思いになっていない、二人の婦人がいました。当時、パウロの手紙は教会全体の前で朗読されたのだそうです。パウロはそのことを知った上で、あえて、二人の名前を出して、同じ思いになってくださいと嘆願したのでした。具体的にこの二人がどんなことで一致できていなかったのか、一つ心になれていなかったのかは書かれていません。それは今となっては誰にも分かりません。彼女たちについて、4章3節では「福音のために一緒に戦った」とまで言われているので、ピリピ教会設立の初期の段階から活躍していたと思われます。その二人が、ピリピ教会の中でもその働きの中核を担っていた二人が、内部闘争を引き起こしていたのです。パウロが公の手紙で名前を出すほどに、です。それはピリピの教会にとって大問題です。
数年前、アメリカシカゴにあるウィロークリークコミュニティチャーチへ父と2人で見学にいきました。たまたま40周年記念式典が開催される時期で、ユナイテッドセンターという大きなスタジアムを訪れました。そこで、2万人を超える教会員が集まって、神を賛美していました。ウィロークリークは数組の家族で働きがはじまり、そこで大勢の人々がイエス様に出会い、2万人を超える人々が教会のメンバーとなりました。
そんなウィロークリークですけれども、設立して2年経った時に、スタッフの間で、仲間割れが起きたのだそうです(ビルハイベルズ著「教会の再発見」p105)。ちなみに、設立2周年の時点で礼拝出席者は2000人に達する勢いだったそうです!その時のウィロークリークでは主任牧師という役職はありませんでした。主任牧師ではなく、コーディネーター牧師というある意味、中途半端な肩書きがありました。ビルハイベルズがコーディネーター牧師として、実質リーダーだったのですが、教会の正式なトップのリーダーと公にされているわけではありませんでした。教会組織の権威の所在が明確になっていなかったのです。教会は伝道活動には燃えていて、スタッフは大忙しに福音の進展に励んでいました。しかし、信徒たちから「責任者は誰なのか?誰が号令を発しているのか?」という声が聞こえ始め、スタッフの間でも、牧師に対する反発、仲間割れが起こってきてしまいました。
そんな状態が続き、「このままでは教会が分裂してしまう」ということで、教会の牧師と全スタッフが集まって、話し合い、ビルハイベルズが主任牧師となって教会の方向性をとることを決めました。そのようにして、すぐに問題が解決したわけではありませんでしたが、一致に向かって進むことができるようになりました。
教会が福音の進展に燃えていても、リーダーたちの方向性に一致がなければ、それは大問題です。やはり、ピリピ教会における二人の婦人の不一致というのは、ピリピ教会の問題の核心部分といえると思います。その事実をパウロは獄中で知りました。ピリピ教会から派遣されたエパフロディトから聴いたのでしょう。それで、「このままではまずい!」と思い、ピリピ教会がしっかりと建て上がっていくために、「教会が一つ思いとなる必要がある!」福音の進展のために「教会が一致する必要がある!」と考えてこの手紙を書いたのです。
パウロは2章で、イエス様が神であるのにご自身の権利をすべて捨てて十字架にかかられたことを書きました。それはユウオディアとシンティケ、それに教会全体がそのイエス様に倣って、自分を低くすることで、一致するためだったでしょう。
2章後半でパウロはテモテは「私と同じ心」で教会を心配してると述べたのも、エパフロディトの献身的な姿を書いたのも、ピリピ教会がその姿に倣って、一致するためだったでしょう。
3章でパウロが自分自身のキリストにある生き方を書いたのも、教会全体がその姿に倣って、ただキリストにあって一致するためだったでしょう。
このように、パウロがこの手紙を書いた一番の「なぜ?」がここにあると思います。ピリピ教会の問題の核心部分であったユウオディアとシンティケの不一致をストップさせることです。その内部闘争をやめさせ、積極的には教会が一致して福音の進展に励むようになるためにこの手紙を書いたのです。
2.ピリピ4章5節の意図
さて、第二のポイントです。パウロが4章5節で何を言っているのかをみていきましょう。
「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。」
まず、ここでパウロがいう「寛容な心」とはなんでしょうか。
4節でパウロは「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」と言っています。これは、ピリピ教会が喜べないような状況にあったからこその命令と言えます。その状況とは外からの迫害という面もあるかもしれませんが、この文脈から考えても、教会内部の婦人二人の問題があった故のものと考える方が妥当です。
同じように、教会が寛容な心でいれないような状況、ユウオディアとシンティケの対立があったからこそ、5節でも「寛容な心」が求められています。パウロは、二人の揉め事の中身それ自体を指摘するという消極的な指導ではなく、「寛容な心」であれ!という積極的な指導をしました。
パウロが使った「寛容」という言葉ですが、パウロは同じ言葉をテモテへの手紙でも使っています。テモテへの手紙では、牧師に求められる条件の一つとして「寛容」が上げられています。新改訳聖書では「柔和」と翻訳されていますが、同じ言葉です。この言葉についてジョンパイパー牧師が次のように言っています。
これは、強引さやケンカ腰の態度の反対です。辛辣であったり、意地悪であったりしてはいけません。…優しい態度を示し、状況がこのような愛の形を必要とする場合にのみ、厳しい態度に訴えるべきです。…言葉は酸っぱくて分裂的なものではなく、助けになり励ましになるものでなければなりません。
(ジョンパイパー著,三原識文訳「聖書的長老制」より)
これがパウロが使った「寛容」という言葉の意味です。ピリピ教会がこの品格を働かせることで、教会が一致して福音の進展に励めるとパウロは考えたのです。
そんな勧めをしたパウロですが、パウロ自身は「寛容」な人だったのでしょうか。イエス様に出会う前は全くその逆でした。パウロは教会を迫害することに狂っていた男でした。教会をいじめて歩いた男でした。イエス様を信じている人なら、男でも女でも関係なく縛って牢屋に入れて、死刑にまで至らせた男でした。
そのパウロを「寛容」な神があわれんでくださいました。そのパウロの前にイエス様が「寛容な心」で現れてくださいました。イエス様は「サウロ、サウロ」と二回パウロの名前を繰り返し、パウロを選んでくださったのでした。パウロは世界で一番寛容なお方を知っていました。そして、ピリピ教会のメンバー全員も、同じお方を知っていると信じていました。
このイエス様こそ、教会が寛容であれる根拠です。私たちの罪をすべてご存知の上で人となり、十字架にまで向かってくださったイエス様こそが、教会が寛容であれる理由です。だからパウロは「主は近いのです」と言ったのです。主イエスは近いのです。本物の寛容はこの言葉に対する信仰によって可能です。
「主は近いのです」という言葉ですけれども、この言葉には二つの解釈があります。一つは再臨、主イエス様が来られる日は近いのです、ということ。もう一つは現臨、今も主イエス様は近くにいてくださるのです、ということです。どちらも、聖書全体からわかる真理です。イエス様がいずれもう一度戻ってきて、すべての被造世界を回復してくださることは聖書の約束です。また、イエス様が今、私たちと共にいてくださることも聖書の約束です。賛美歌「Way maker」でも「ここに今おられるあなたを崇める」と私たちは告白しています。
パウロはどちらを思ってこの言葉を発したのでしょうか?どちらの信仰もとても大事ですが、パウロはここでどちらかを意識して語っているはずです。片方の可能性に心を開きつつ、私は再臨であると思います。
この手紙全体の中でパウロはイエス様の再臨のこと何度か繰り返しています。3章20節でもイエス様が来られることを宣言し、その流れの中での「主は近いのです」とあるので、パウロが再臨を意識している可能性は高いです。
また、聖書学者の黒崎幸吉先生はこの言葉について次のように述べています。
「主は近いのです」は当時の教会の合言葉であった。1コリント16章にある「マラナ・タ」(主よ、来てください)はそのアラム語である。多分世の迫害などの苦痛にあるとき「あと一息だ」という心持ちで「主は近いのです」と言い合ったのであろう。
(黒崎幸吉著「註解新約聖書(パウロ書簡)より)
「主は近いのです」!そう信じて言い合うことでピリピ教会は励ましあい、教会外の人たちからの迫害にも耐えて、教会を建て上げていたのです。イエス様が再臨されるその時、罪なき体をいただき、完成された神の国に入れていただける!その日が近づいている!イエス様と同じ姿に変えられる!その日が近づいている!「主は近いのです」。その素晴らしい希望を告白していたのがピリピ教会だったのです。
ヤコブの手紙にも同じような勧めがあります。
「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。兄弟たち。さばかれることがないように、文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます」(ヤコブ5:8~9)
教会が寛容な心であれる根拠は、イエス様に対する信仰、再臨の信仰です。パウロの願いは、ピリピ教会が「主は近いのです」という言葉を信じて握り続け、一致して、福音の進展に励むことでした。
また、パウロは「寛容な心が、『すべての人』に知られるようにしなさい」と言いましたが、「すべての人」とは教会内の人だけでなく教会外の人も含まれると思います。教会こそが、この世界の光として知られるべき共同体であるからです。イエス様の再臨を告白し、告白しているように生きているその存在が教会外の人々を福音に引きつけるからです。
3.私たちはどうあるべきなのか
最後に、三つ目のポイントです。「主は近いのです」というみことばから、私たちはどうあるべきなのかです。
結論から言います。365日!「主は近い!」と信じて教会を建て上げる、ということです。イエス様の再臨がいつなのか?誰にもわかりません。しかし、確かにその日を神様が定めておられます。神様が決めたその日に、イエス様がこの世界にやって来られます。いつなのかはわからないけれど、確かにその日は近づいているのです。約2000年前にイエス様ご自身が言いました。
目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。次のことは知っておきなさい。泥棒が夜の何時に来るのかを知っていたら、家の主人は目を覚ましているでしょうし、自分の家に穴を開けられることはないでしょう。ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。(マタイ24)
身が引き締まるような気持ちになるイエス様のお言葉です。イエス様が再臨し、すべての人がその御前に集められるその時、私たちは「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言われるような姿勢で生きているでしょうか。神様の前に忠実な心で生きているでしょうか。私は全然そうじゃないことがたくさん思い返されます。
だからこそ、素晴らしい約束であると同時に、警告とも受け取れる「主は近いのです」という言葉を信じ続けていきましょう。365日。
神様は私たち一人ひとりの信仰生活を教会共同体という文脈の中で保ち続けるように計画されました。イエス様が十字架で死んで復活したことで、信じる私たち個人の罪がゆるされるという素晴らしい恵が実現しただけではなく、信じる人の集まりである教会共同体が生み出されました。教会は神様の永遠の計画の中で誕生しました。私たちは教会の一員として毎週日曜日に集まって、イエス様の復活に感謝し、イエス様の再臨を待ち望み続けるようにされました。365日、イエス様が来られるその日まで、教会共同体の一員として、神様の前に忠実な心であれるよう励まし合うようにされました。ですから、共に、「主は近いのです」という信仰を持ち続け、励ましあって教会共同体の建て上げに励んでいきましょう。
賛美歌「マラナタ」をメッセージ前に歌いましたが、この賛美歌もって共に神様を賛美すると励まされますし、胸が熱くなります。特に、「アーメン主イエスよ、きてくだい!」という部分です。この告白をする時に、私は、二つの願いの間で板挟みとなります。
一つは、「イエス様の再臨が楽しみ!」という願いです。なぜなら再臨の時、完全に罪から解放され、罪なき体をいただき、完成された神の国に入れていただけるからです。神様は今は目に見えませんし、直接的な声もきけませんが、イエス様が来られるその日、完全にイエス様を知ることができるからです。すごすぎる約束だからです。
もう一つの願いは、「でもまだきて欲しくない!」ということです。イエス様が来る前に、私はもっと目に見えない神様と親密な人間になりたいです。それから、再臨の時、家族や友人がイエス様への信仰を持っていなければ、それがどういうことなのか理解しています。
富谷市で教会の働きがはじまる前、私は大崎市古川に住んでいました。大学を卒業して、古川に引っ越してから、古川教会で毎朝祈祷会に参加して祈るようになりました。その時、私は特に、学生時代の友達の名前、また、おじいちゃんとおばあちゃんの名前をノートにリストして、祈っていました。それまで私はそんなに祈ったことがありませんでした。高校生くらいまで、家で寝る前に父と祈ることは習慣でしたし、ボクシングの試合前にも熱心に祈りました。またふとした瞬間に神様に祈ることもありました。しかし、自分一人で静まって祈ることも、教会の熱心な祈祷会もほぼ未経験でした。
社会人になって初めて、そのような経験をして、私の心に伝道の炎が灯りました。古川の若者が企画しているパーティーなどに参加して仲良くなった人を伝道集会に誘ったり、レストランで入門クラスを導こうとしたこともありました。
そんな中、おじいちゃんおばあちゃんに福音を伝えたい!と思い、家族で伝道パーティーすれば良いのではないか!と閃きました。私は「希望」についての聖書メッセージを準備しました。両親と姉、そして、おじいちゃんおばあちゃんが一つ部屋に集まって、美味しい食事を共にしました。食べ終わってきたなと思った時に、私は立ち上がり、「聖書メッセージをしたいと思います」と宣言しました。おじいちゃんとおばあちゃんがずっとかたくなであったことはわかっていたので、かなりドキドキしていました。私は用意していた原稿をゆっくりとおじいちゃんとおばあちゃんの方を向いて、語りました。
私は原稿に地獄についても書いていました。私はその真理を伝える段階になったときに、本当にこのままではおじいちゃんとおばあちゃんが永遠の苦しみの世界に向かってしまうと感じました。私にとっておじいちゃんとおばあちゃんは寛容の塊のような存在です。私には昔からずっと良くしてくれてしかいません。そのおじいちゃんとおばあちゃんが…
私は涙をこらえることができませんでした。ですから、イエス様に「まだ来て欲しくない」と思います。まだ、教会を建て上げたい!という思いがあります。愛する家族、友人が福音を信じて、教会共同体に加わってほしいと思います。祈ります。今年も祈っていきましょう。
いつイエス様が来られるかわかりませんが、「主は近いのです」とパウロが言った通り、2000年前の教会が告白していた通り、その日が近づいています。私たちはイエス様の再臨を信じ、また信じているように生きていきましょう。
結び.
今日のメッセージのまとめです。最初、キング牧師の名言をめぐる解釈が私と私の母とで異なる話をしました。言葉の本当の意味は著者の意図を知ることではじめてわかります。聖書も同じです。聖書にあるパウロのすべての手紙の目的は、「教会共同体を建て上げること」でした。
ピリピ人への手紙のパウロの意図は「教会が一致して福音の進展に励むようになるため」でした。ピリピ4章5節のパウロの意図は、「ピリピ教会が『主は近いのです』という言葉を信じて握り続け、一致して、福音の進展に励むこと」でした。そして、このみことばの私たちに対する神様の意図、それは、私たちが365日「主は近いのです」という再臨の信仰を保持し教会を建て上げるていくということでした。
今日からはじまった2022年、再臨の信仰を持って、信じているように生きていきましょう!
2022年1月1日 走